請西エリアについて

木更津の歴史~君去らず~

木更津の地名は日本武尊が詠んだ詩の冒頭である、
「君去らず」に由来すると云われている。

江戸期以降の時代で、
廃藩置県で木更津県が設置されると,明治維新で駿河
(静岡県)から転封された旧桜井藩主の邸宅が庁舎と
して利用されていったそう。
木更津の地名は,明治期以降の歌舞伎「与話情横名浮
櫛(よはなさけよこなのうきぐし」の「切られ与三郎
の墓」や大正末期に野口雨情が発表した童謡「証誠寺
の狸ばやし」などで全国に知られるようになっていっ
たと伝えられている。

君去らず とは...

この歌の“君去らず”から「木更津」や「君津」が、また“袖しが浦”から
「袖ケ浦」という地名ができたとも云われている。また、木更津の近く
にある「富津」という地名は、古くは「布留津」と記し、これはヒメの
袖が流れ着いて、日本武尊がこの地(=津)に“留”まった事に由来する
という説もある。

君去らず 袖しが浦に 立つ波の その面影を みるぞ悲しき

難読地名
”請西”

木更津市の中央部であり、戦国期から在る。
地名は城在,城砦(じょうさい)が転じたも
のとも伝えられており、幕府領であったが、
文政8年側御用取次の林忠英が貝淵(市の西
部)に1万石で立藩。嘉永3年貝淵藩主林忠
旭が陣屋を請西村に移し、請西藩と改称され
ていった。

「請西」って読むんです。

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